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Poetry本体収録デモ曲解説

Poetryに収録されている50のショパン楽曲デモについて、1つずつ解説します。なおデモ・サウンドの名称の"P"はPleyel(430Hz)、"I"はItalian Grand Pianoで演奏したものです。

解説:藤井亜紀

マズルカ

マズルカ集は、ショパンの全作品の中でも彼の祖国への思いが最も色濃く表れている曲たちです。「マズルカ」は、ポーランドに伝わる3拍子の舞曲の総称で、北東部の地名であるマズーリ(Mazury)発祥のマズール(Mazur)に由来しています。

ショパンは、幼い頃からマズルカを身近に感じていたことでしょう。また、14、15歳の夏休みに滞在したシャファルニア(ワルシャワから北へ250kmほどの村)でのマズルカ体験が特に印象的だったようで、その後の作曲の礎となります。

ショパンは、ひとつの作品の中でマズール(生き生きとしたリズムと、独特なアクセントが特徴)、クヤヴィアク(歌や合唱を思わせる緩やかなテンポとしなやかなメロディーラインが特徴)、オベレク(旋回しながら踊る活発な舞曲で、目まぐるしく変化するメロディーと、プレストなどの速いテンポで書かれることが多いのが特徴)の3つの舞曲を組み合わせる手法をとりながら、60曲ものマズルカを作曲しました。

マズルカ 第5番 変ロ長調 Op.7-1 (Poetry Demo #05)
第1拍の付点リズムを動力とした快活なマズールです。その付点リズムは楽想とともに表情を変化させます。中間部は、変ト長調の空虚5度の伴奏による憂いを帯びた旋律とともに儚げなクヤヴィアクが奏でられ、絶妙なコントラストをなしています。

マズルカ Op.67

作曲年が異なる全4曲からなるOp.67は、ショパンの死後、友人フォンタナにより編纂され、1855年に出版されました。

マズルカ 第42番 ト長調 Op.67-1 (Poetry Demo #34)
民俗色溢れるマズールです。まるで町の居酒屋で人々が陽気に歌い、踊る光景が目に見えるようです。第3拍のアクセントでは、人々の「ヘイ!」という掛け声でしょうか。ショパンが、カールスバート(現チェコのカルロヴィ・ヴァリ)で両親と5年ぶりに再会した時に作曲されたといわれています。

マズルカ 第43番 ト短調 Op.67-2 (Poetry Demo #35)
哀愁を帯びたメランコリックなクヤヴィアクで、中間部はマズールが置かれています。ショパン最晩年の作品で、諦観が全体を覆っていますが、ふと現れるマズールの楽想は、遠い祖国に思いを馳せ懐かしんでいるようにも感じられます。

マズルカ 第44番 ハ長調 Op.67-3 (Poetry Demo #36)
ワルツのような優雅さを纏いながら、中間部はオベレク風の楽想が顔をのぞかせます。この曲も、第1曲ト長調と同じ頃の作品で、両親と再会した喜びと解放感が伝わってきます。

マズルカ 第45番 イ短調 Op.67-4 (Poetry Demo #37)
涙がこぼれ落ちるような哀愁を帯びたクヤヴィアクです。中間部は長調に転じますが、全体をとおしてメランコリックな気分が支配しています。

ノクターン

「夜想曲」と訳されるノクターンは、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770~1827)の時代に活躍した、アイルランドの作曲家・ジョン・フィールド(John Field 1782~1837)が初めて確立したジャンルです。

アルペジオの伴奏に乗せて、イタリア・オペラのベルカント唱法を鍵盤上で再現していくようなスタイルの音楽は、当時はとても斬新なものでした。それはピアノという楽器の発展なくしては実現しなかったことでしょう。なかでも音が長く持続したり、音が互いに溶けあったり、響きを豊かにするペダルの効果は絶大でした。

フィールドの音楽に深い感銘を受けたショパンは、自らの作品に反映させながら独自の音楽を展開していきます。

抒情的で深い情感を表現するために、オペラ・アリアのゆったりとした歌唱様式をピアノ作品に取り込むことを理想としていたショパン。16世紀以後、小夜曲、夜曲とも訳された「セレナード」が、星空のもと、窓辺の恋人に愛の歌を捧げる音楽だったように、ショパンにとって「ノクターン」は、親密な告白のごとく、自らの内なる声を描き出すことができるジャンルだったのかもしれません。

ノクターン 第1番 変ロ短調 Op.9-1 (Poetry Demo #11)
ノクターンというジャンルの幕開けといえるこの作品は、彼にとってようやく手に入れることができた音楽活動の拠点のフランス・パリで作曲され、生涯を通じての良き理解者であった楽器製作会社プレイエルの社長・カミーユ・プレイエル(Camille Pleyel 1788~1855)夫人であるマリーに捧げられました。コロラトゥーラ(歌曲やオペラにおいて、声を転がすように細かい装飾を華麗に速く付けて歌う部分)を随所に散りばめながら、変ロ短調のメランコリックな第1楽想と、変ニ長調の温和な第2楽想の対照が見事に調和しています。

ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2 (Poetry Demo #04)
ノクターンの中で、最も愛されている作品のひとつと言えるでしょう。旋律が装飾音を変化させながら紡がれる様子は、まるでレースのような繊細さとエレガントさを持ち合わせています。弟子たちの回想によると、ショパンは弾くたびに装飾(ヴァリアント)を即興的に変化させていたようです。宝石をちりばめたようなコーダも魅力的です。

ノクターン 第8番 変ニ長調 Op.27-2 (Poetry Demo #40)
ある日、文学界、音楽界の名士達がサロンに集い談笑をしていた時のこと。ひとりのヴァイオリニストが披露した自作の曲が人びとを感動させました。それを聴いていたショパンがその場で創作したピアノ曲がこの作品です。二つのテーマが美しい装飾を変奏しながら交互に現れ、第2主題のデュエットを思わせる重音の響きが深みをもたらしています。第2番とともに最も親しまれているノクターンです。

ノクターン 第20番(遺作)嬰ハ短調K.IVa-16/BI 49 (Poetry Demo #41)
現在では「ノクターン」と一般的には知られていますが、1875年に出版されたときは「Adagio」というタイトルがつけられ、速度表示に「Lento con gran espressione」(遅く、表情豊かに)と記してありました。また初版の冒頭には「姉のルドヴィカ・ショパンが、ピアノ協奏曲第2番の練習の前に弾くために」と書かれており、ピアノ協奏曲第2番から引用された楽句が中間部に現れます。ルドヴィカがショパンの未出版作品のカタログを作った際には「夜想曲風のレント」と記されました。

エチュード(練習曲集)

Op.10、25のそれぞれ12曲から構成されるエチュード(練習曲)は、練習曲集と呼ぶにはあまりにも芸術的で、ショパンのピアニズムが凝縮された演奏会用性格的小品集といえるでしょう。

この練習曲集を作曲することを思い立ったのは、19歳の頃に作曲した意欲作である2曲のピアノ協奏曲の存在があります。最高傑作に挙げられる両作品ですが、音楽の素晴らしさとともに注目すべきは、弾きこなすための高度なテクニックが必要とされる点です。十分に弾きこなすにはショパン独特のピアニズムが求められます。そこで、ショパン自身により、自身のピアニズムを伝え、自ら技術を磨くための練習曲を作曲することとなったのです。実際に、ショパンはこの曲集を“Étude(練習曲)”として出版するまで、“Exercise(練習課題)”と名付けていました。ちなみに「別れの曲」「木枯らし」など一般的に知られる標題は、ショパン本人がつけたものではなく、のちにつけられたものです。それぞれの“練習曲”の域を超えた音楽の素晴らしさが人々の音楽的想像を引き出し、ショパンの人生や、ショパンその人への共感から名付けられたのは自然なことのように感じます。

エチュードOp.10

ショパンとは1歳下で作曲家、ピアニストとして絶大な人気を誇っていたフランツ・リスト(Franz Liszt 1811-1886)に“À SON AMI(我が友)”という言葉とともに献呈されました。作曲家リストに対して、ショパンはあまり共感していなかったようですが、やはり当代随一のピアニストとして称賛されていたリストのピアニズムには一目置いていたようです。作品献呈にリストは大変喜び、御礼の気持ちを完璧な演奏で表したそうです。

エチュード Op.10-1 ハ長調 (Poetry Demo #25)
「滝」という愛称もつけられているように、左手の長い息で奏されるベースラインの上を推進力とともに上下する華やかな右手のパッセージのダイナミックさが印象的な作品です。右手は一貫して4オクターブ以上のアルペジオを上下するために、右手の指の独立、広がり、さらに手首と肘の柔軟性と自在な動きが求められます。練習曲中最も演奏が困難な曲のひとつです。

エチュード Op.10-3 ホ長調「別れの曲」 (Poetry Demo #01)
あまりにも有名なこの曲のメロディーの美しさのみならず、和声の素晴らしさは特筆すべきでしょう。ショパンは、弟子が演奏するこの曲を聴きながら「わたしの一生で、これほど美しい歌を書いたことはありません。」と語り、「ああ、わが祖国よ!」と叫んだといわれています。

一方、演奏技術としては、ポリフォニー(多声音楽)の各声部の弾き分けや、中間部では左右ともに難度が高い重音演奏の技術が求められます。速度については、ショパンの自筆譜に“ヴィヴァーチェ及びヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ(活発に、しかし過度でなく)と指示されているものがあり興味を引くところです。

エチュード Op.10-4 嬰ハ短調 (Poetry Demo #26)
ドラマティックな性格を持った嬰ハ短調の響きの中で、絶え間なく続く16分音符のパッセージは、変幻自在に音型を変化させながら疾走します。技術的には、音型の変化にともない手のポジションの瞬発力をともなった手の開閉や掴み、16分音符の均質な粒立ちが求められます。和音やオクターブによる鋭い刻みや、激しさを伴ったパッセージは、より緊張感を煽る効果を出しています。

エチュード Op.10-5 変ト長調「黒鍵」 (Poetry Demo #20)
右手が黒鍵のみで演奏されることから「黒鍵」と名付けられています。黒鍵5音で奏される右手は、マイナー・ペンタトニックのどこか懐かしい東洋的な響きを感じるかもしれません。右手の華やかなパッセージが印象的ですが、実は左の伴奏の和音の連続から現れるメロディー・ラインの弾き分けとカンタービレに奏する高い技術が求められることから、左手の練習曲といってもいいかもしれません。左手のしなやかで豊かな音楽の上で、右手はまるでキラキラと散りばめられた宝石のようです。

エチュード Op.10-12 ハ短調「革命」 (Poetry Demo #21)
ロシア帝国の支配を受けていたポーランドの人々は、1830年11月29日に武装反乱を行います(11月蜂起)。しかし、1831年9月に敗北してしまい、ワルシャワは陥落してしまいます。ショパンは、その知らせをドイツのシュトゥットガルトで受け、心神喪失の状態で作曲したと言われています。

この蜂起が勃発するわずか約3週間前にロシア政府発行の旅券を手にワルシャワを発ったショパンは、蜂起の報に接し、どれだけ心を激しく揺さぶられたことでしょう。国土回復の望みは儚く崩れ去り、奈落の底に突き落された彼の心の内が伝わってくるような楽曲です。右手の激しい付点のリズムを持つテーマは、ショパンの心の叫び、そして訴えとして迫ってくるようです。最後の急激なユニゾンの下降とfffの和音の連打は、ショパンの心の叫びとともに、まるで彼自身を鼓舞するかのように響きます。

エチュードOp.25

作家、ジャーナリストとして活躍し、当時リストの内妻だった、マリー・ダグー伯爵夫人(Marie d‘Agoult 1805~1876)に献呈されました。ここでも、ピアニストとしてのリストへの敬意が感じられます。大半がパリで作曲され、サロン・ピアニストとして、また上流階級の女性達のピアノ教師として注目され始めたショパンが、自身の演奏会において好んで演奏したように、演奏技法習得の教材のみならず、演奏会を飾る小品としても有効な曲集でした。

エチュード Op.25-1 変イ長調「エオリアン・ハープ」 (Poetry Demo #27)
この作品についてショパンは弟子に、「牧童が、近づいてくる暴風雨を避けた洞窟の中で、美しい旋律を笛で静かに奏でている様子をイメージするように。」と語ったとのことから「牧童」とも呼ばれています。

標題は、作曲家R.シューマン(Schumann Robert 1810-1856)の評論からのもので、内声の柔らかく響く分散和音が、自然に吹く風が弦を鳴らす「エオリアン・ハープ」を連想させることから名づけられました。音楽の繊細さの中で浮かび上がる優美なメロディーが際立っています。

エチュード Op.25-5 ホ短調 (Poetry Demo #28)
どこか哀愁を含みながらも軽やかに戯れるようなホ短調の舞曲と、左手にまるでチェロの独奏のような豊かな中低音域の響きで歌い上げる旋律が現れるホ長調の中間部で構成されており、その音楽の対比が斬新な曲です。

エチュード Op.25-9 変ト長調「蝶々」 (Poetry Demo #29)
左手の軽やかに上下する伴奏は、自由に花から花へと蝶々が移る様子、そして、右手の素早くオクターブに広がる音型は、羽ばたきの様子を表しているようです。右手のオクターブの連続を軽やかに演奏しながら、同時に多声音楽として表現することが求められます。

エチュード Op.25-11 イ短調「木枯らし」 (Poetry Demo #30)
“葬送”を暗示するような静かな付点序奏の後、音楽は一気に荒れ狂う嵐の様相を呈します。左手の付点は、冒頭のような厳かさから変化し、デモーニッシュな旋律を奏でます。縦横無尽に張り巡らされた右手の旋律は、転調を繰り返しながら劇的に表情を変化させていきます。

エチュード Op.25-12 ハ短調「大洋」 (Poetry Demo #31)
Op10-12「革命」と同様に、ロシア軍によるワルシャワ陥落の知らせを聞き1831年9月、憤激と悲嘆の中で作曲されたと言われています。

極限の精神状態を表すかのような激しく乱高下するアルペジオが同時に描き出すのは、ゼウスの雷鳴のような力強さと崇高さ、そこにショパンの誇り高き精神が重なるように感じるのです。最後はハ長調で輝かしく幕を閉じます。まさにOp.10、Op.25のそれぞれの練習曲集のラストを飾るにふさわしい作品です。

バラード

バラードとは、古くは中世ヨーロッパで盛んに作られた詩の形式のひとつを表す言葉です。ショパンの「バラード」というジャンルの確立には、ポーランドの国民的ロマン派詩人アダム・ミツキェヴィチ(Adam Bernard Mickiewicz 1798~1855)の存在や、1820年代にワルシャワ界隈で流行していたバラードなる歌曲、そして、パリのグランド・オペラに用いられたバラード風のアリアの影響が大きいといわれています。

ショパンは、器楽作品において「バラード」という名を使った初めての作曲家です。これらのバラード作品が、ミツキェヴィチの詩に影響を受けたと言われるのは、ショパンが1836年にライプツィヒにロベルト・シューマン(Robert Schumann 1810~1856)を訪ね、ショパンが完成前のバラード第2番を弾いた時に「ミツキェヴィチのある詩からインスピレーションを得たと語った。」というシューマンの証言に基づいています。

バラード 第1番 ト短調 Op.23 (Poetry Demo #38)
ミツキェヴィチの代表的な劇詩、歴史小説である6章からなる「コンラード・ワーレンロット(Conrad Wallenrod)」の第4章最後のエピソードから着想を得たと言われています。7小節の序奏はユニゾンにより衝撃的に奏でられますが、極めてシンプルな響きが主調のナポリの6度(主音の半音上の音を根音とする長三和音のことで、ナポリ学派が好んで使ったことからその名がついた。)であることから、その後に展開される壮大かつ悲劇的な物語を暗示しつつも、ヴェールで覆うかのように響きます。

哀しみを湛えた第1主題と、幸福感に満ちた第2主題の音楽を印象的に浮き上がらせながら、儚げな美しい楽想と激しい楽想を交互させ、起承転結を持つ物語を壮大に描いています。約50小節にもおよぶコーダは圧巻です。
 



“「コンラード・ワーレンロット」の第4章最後のエピソード” の概要は以下のとおり。
時は中世、十字軍との戦いに敗れたリトアニアは独立を失い、王子コンラード・ワーレンロットは捕虜となる。十字軍の司令官に我が息子のように育てられ勇敢な騎士へと成長した彼は、祖国リトアニアの独立のために作戦を企て成功させる。しかし、彼は裏切り者として十字軍に処刑されてしまう。
 

バラード 第4番 ヘ短調 Op.52 (Poetry Demo #39)
変奏をともなった自由なソナタ、ロンド形式。ミツキェヴィチの詩「ブドゥリスの三兄弟」から着想を得たと言われていますが、定かではありません。非常に内省的で詩的な趣をもち、全曲を通して憧憬的な郷愁が漂っている作品。7小節の情緒豊かな序奏の後、静かに溢れ出るような主題が提示され、これをヴァリエーション風に展開しつつ、流動的に抒情性に満ちたいくつもの楽想が繋がっていきます。しかし、主題の変奏が激しさを増してゆくと、この主題にまつわる「物語」をはっきりと追うことができるようになるのです。

この作品は、ショパンのパートナーであり男装の麗人と呼ばれ、フェミニストの先駆けとして知られる作家・ジョルジュ・サンド(George Sand 1804-1876)との関係も良好な絶頂期に書かれました。最高傑作とされる所以は、作曲技法とピアニズムにおいても彼の天分が最大に発揮されているからでしょう。しかし、この頃をピークに作品の数は減っていくことになります。
 

“「ブドゥリスの三兄弟」―リトアニアのバラード“ の概要は以下のとおり。
リトアニアの老ブドゥリスは、3人の息子達に異なる地への遠征を命じる。一人はロシアへ銀貨や良い毛皮のための材料を得るために、一人はプロシアへ琥珀や高級布地を得るために、そして一人はポーランドへ。そこにはサーベルと鎧以外特別なものはないが素晴らしい女性がいる。今は亡き老ブドゥリスの妻も素晴らしいポーランド女性であった。3人の旅立ちから時を経て、その帰りを待ち侘びていたところに、一人の息子がポーランドの花嫁を連れて帰ってくる。続いて二人目も同様だった。そして3人目の息子の帰還の時は、もはや老ブドゥリスは何も尋ねることなく3回目の結婚式の準備を始めるのだった。

ポロネーズ

フランス語で“ポーランド風の”と訳されるポロネーズの歴史は古く、1574年にアンリ3世がポーランド王に即位した際に演奏されたという記録が残っています。私たちがイメージするポロネーズのリズム(タンタカタンタンタン)が定着したのは18世紀初めの頃のことです。3/4拍子の緩やかなテンポで、威厳を感じさせながらも優雅で高貴なステップが特徴で、おもに王侯や貴族の宮廷で踊られていました。

17世紀前半にはヨーロッパの人々を魅了し大流行したことで、バッハ、モーツァルトをはじめとする作曲家の作品に取り入れられます。ショパンは、ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラで生まれ、そこで村人たちが踊るマズルカに親しみ、一方、幼少の頃からのワルシャワの生活では、出入りしていた貴族の館や宮廷でポロネーズに親しんでいました。

ショパンが初めて作曲したピアノ曲は、わずか7歳の時の「ポロネーズ ト短調」でした。そして、時を重ねるごとに、ポーランド人としてのアイデンティティを表現する媒体となっていきます。

ポロネーズ 第3番 イ長調「軍隊」Op.40-1 (Poetry Demo #22)
1795年の第三次ポーランド分割、1830年のワルシャワの11月蜂起と翌年の敗北と、ショパンはまさにポーランドの苦難の歴史の只中に生きました。祖国の復活をいつも願いながら、諸外国の上流社会の人々が集う社交界を席巻し注目されていた彼にとって、ポロネーズを作曲し演奏することは、対外的な強いメッセージと自身のアイデンティティを表明する重要な意味を持っていたはずです。「軍隊ポロネーズ」としてよく知られるこの曲は、明快さとスケールの大きさとが特徴です。出版された際には1830年の11月蜂起に加わったフォンタナへ「我が友」という言葉を添えて献呈されていることからも、友への敬意が込められているのではと思います。

ポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」Op.53 (Poetry Demo #23)
「英雄」とよばれる標題は、後々弟子達によってつけられたと思われます。鼓舞するような力強い16小節もの序奏ののち、この上なく高貴かつ厳かな主部主題が現れる瞬間は実に感動的で、誇り高きショパン像が映し出されるようです。ホ長調で始まる中間部は、左手のオクターブのオスティナート(同じ音型を執拗に何度も繰り返すこと。)とともに勇壮なテーマが奏でられ、音楽はクライマックスを迎えます。コーダ(終結部)は、より一層輝きを増し、そして力強いポロネーズのリズムとともに結ばれます。

ポロネーズ 第11番(遺作)ト短調 KK.Ⅱa-1 (Poetry Demo #42)
現存するショパン最初の作品で、わずか7歳の時に作曲されました。「遺作」となったのは、当時狭い範囲で発表され、その後長い間行方不明の作品であったとの理由から「遺作」とされています。シンプルでありながら、のちに確立することになるショパン独自の音楽性のみならず、ピアニズムの片鱗が現れていることに驚かされます。

ワルツ

ショパンがポーランドを離れ、パリを目指す前に8ヶ月間を過ごしたウィーンでは、シュトラウス一世のワルツが流行し持て囃されていました。その音楽に彼は共感できずにいたようで、家族に宛てた手紙では次のように書いています。

「…ウィーンの人々は、夕食のころ、シュトラウスやランナーのワルツを踊ります。そして、一曲一曲に盛大なブラヴォーを送るのです。まったくウィーンの聴衆の堕落した趣味の証明です。…」

このような音楽体験を礎に、もともと持ち合わせていた貴族的センスと自身のピアニズムを融合させて、ワルツというジャンルにおいても、ショパン独自の音楽を確立し19曲の作品を残しました。

ワルツ 第1番 変ホ長調「華麗なる大円舞曲」Op.18 (Poetry Demo #12)
もはやパリの上流社交界の主役的存在となっていたショパンにとっての、記念すべき初めて出版されたワルツです。出版された途端、“ガゼット・ミュジカル・ドゥ・パリ”(パリ音楽新聞)にて絶賛され、大きな人気を博しました。ファンファーレの華やかな幕開けから始まり、次々と7つもの優雅な楽想が華やかに登場します。「華麗なる大円舞曲」の名にふさわしい作品です。

ワルツ 第2番 変イ長調「華麗なる円舞曲」Op.34-1 (Poetry Demo #13)
ショパンは、ワルシャワを離れてから別れたままであった両親とこの年の夏にチェコで再会を果たしました。ともにカルロリ・ヴァリ(チェコ・ボヘミア西部にある温泉地)に3週間過ごしたのち、両親を見送る途上で、ボヘミア貴族・トゥーン=ホーエンシュタイン(Thun-Hohenstein)家に招かれた際に作曲されました。5つの楽想が織りなす絢爛な音楽から、その時のショパンの幸福感が伝わってくるようです。

ワルツ 第4番 ヘ長調「猫のワルツ」Op.34-3 (Poetry Demo #15)
“猫のワルツ”という愛称でよばれる愛らしく軽快なワルツは、子猫がピアノの鍵盤上を走り回る様子から着想を得たのではないか、と言われています。ユーモアを感じさせる急速な無窮動風のパッセージや、すばしこく軽やかに跳び跳ねるような前打音から、いたずら好きな猫の様子とともに、その様子を優しい眼差しで見守るショパンの姿が目に見えるようです。

ワルツ 第6番 変ニ長調「小犬のワルツ」Op.64-1 (Poetry Demo #02)
「小犬のワルツ」として広く愛されています。変イ音を中心に周りを回転する音型や無窮動の曲想は、いかにも小犬が自分の尻尾を追ってくるくる回る様子がイメージされ、なんとも微笑ましい気持ちになります。ショパンは犬好きで、当時ジョルジュ・サンドが飼っていた“マルキ”と“ディブ”という名の小犬をたいそう可愛がっていたようで、この曲はマルキの様子を表現したと言われています。

ワルツ 第7番 嬰ハ短調 Op.64-2 (Poetry Demo #14)
まさにショパンならではの作曲技法の集大成といえるワルツです。冒頭、左手のワルツのリズムのうえでマズルカが奏でられます。どこか儚げにうつろいゆく美しさが際立つ作品です。「小犬のワルツ」とともに、生前に出版された最後の作品のひとつです。

ワルツ 第9番 変イ長調「告別」Op.69-1 (Poetry Demo #16)
この作品は、作曲年から18年の時を経たショパンの死後、遺作として出版されました。ショパンは、旅行中の滞在先のドレスデンで、ポーランド時代にショパン家と家族ぐるみの付き合いがあった、ポーランド貴族・ヴォジンスキ家を訪れ二週間の時を過ごします。このワルツは、ショパンが令嬢のマリアにほのかな恋心を抱いた時に書かれたと言われています。

のちにショパンはマリアに求婚しますが、結婚寸前までいきながら約束は破棄されてしまいます。「告別」と呼ばれる所以は、この曲の楽譜にマリア自身の手により《別れ》(L’Adieu)と書かれ、以後マリアが「別れのワルツ」と名づけ愛奏したと言われていることによります。

ワルツ 第10番 ロ短調 Op.69-2 (Poetry Demo #17)
ショパン19歳頃の作品。ワルツ作品のなかにマズルカ風の楽想が顔をのぞかせるのは、ショパンにとって身近にあった舞曲のマズルカが自然と溢れ出てくるからなのでしょうか。それとも意図的にワルツとマズルカを組み合わせようとしたからなのでしょうか。いずれにしても、愁いを帯び静かに語りかけるような曲線が印象的な主部と、楽しげなマズールの要素を持つ中間部の対比がなんとも美しい作品です。

ワルツ 第14番(遺作)ホ短調 KK.Ⅳa-15 (Poetry Demo #18)
抒情的かつメランコリックな楽想の短調のワルツ作品の中で、ほとばしるような情熱とリズムがひときわ際立つ異色の作品です。華麗なピアノ・テクニックが駆使される主部に対して、ホ長調の中間部では、流麗な旋律が奏でられます。力強く一気に駆け抜けるコーダ(終結部)は圧巻です。

ワルツ 第19番(遺作)イ短調 KK.Ⅳb-11 (Poetry Demo #19)
この上なくシンプルな作品です。左手の淡々とした伴奏の上で奏でられる美しい旋律からは、奏でられては消えてゆく儚さや、ショパンその人の告白が聴こえてくるようです。

舟歌

舟歌 嬰ヘ長調 Op.60 (Poetry Demo #43)
まさにショパンの最高傑作の一つです。これほどまでに光と色彩、そして愛に満ちた作品はあるでしょうか。しかし、作曲された背景には、実はサンドとの別離による深い孤独感、体調の悪化から死を意識するようになったショパンの姿がありました。彼が生涯に幕を閉じる3年前のことです。

幸福感に溢れ、まるで優しい光に包まれるような嬰へ長調の響きから、心のなかの様々な思いが音楽によって昇華されたと感じるのです。舟歌は、もともとヴェニスのゴンドラを漕ぐ舟人の歌の形式を模倣したものです。穏やかな水面を思わせる左手の伴奏に導かれ、まるで愛の二重唱のような優雅な二声部が奏でられ、それはやがて高度なテクニックを駆使しながら即興的に変奏されていきます。繊細な和声変化や絶妙な転調は豊かな色彩感を生み出し、そして、対位法的手法(前出参照)が音楽に奥行きをもたらしています。思いを馳せるような静かなコーダから、輝かしいffで締めくくられます。

子守歌

子守歌 変ニ長調 Op.57 (Poetry Demo #49)
最初の草稿では、タイトルを”Variantes”(変奏)と記していたようですが、翌年、ショパン自身が試演したのちノアンのジョルジュ・サンドの別荘で改訂されました。シンプルでありながら、ショパンの晩年の黄金期の霊感が作品の中に満ちています。ショパンの指先が触れていた鍵盤の感覚を追体験しているような喜びを感じることができる作品です。

即興曲

即興曲 第4番 嬰ハ短調「幻想即興曲」Op.66 (Poetry Demo #03)
ショパンは、完璧主義者ゆえ、作品番号がついていない作品は全て破棄するように、と家族や弟子達に伝えていたというエピソードは有名です。

しかしこの曲は生前に何故か出版されることはありませんでした。ショパンの死後、学生時代からの唯一無二の友人であり、自らも作曲家でもあったフォンタナにより出版されました。「幻想即興曲」という標題はフォンタナによるものです。生前出版されなかった理由は定かではありませんが、ショパンの作品の中で最もポピュラーな曲のひとつとなっています。

左右異なるリズムを奏でながら華麗な音の綾が繰り広げる主部と、変ニ長調の甘美で穏やかな旋律が歌われる中間部、そして主部が再現され、最後に中間部の主題を回想し静かに曲を閉じます。

プレリュード(前奏曲)

1938年の冬、サンドは、体調が優れないショパン、そしてリウマチを患うサンドの息子モーリスなど子供たちとともにパリを離れ、温暖な地中海のマヨルカ島で過ごしました。24の前奏曲 Op.28は、マヨルカ島滞在期間中に完成しました。24曲は、ハ長調→イ短調→ト長調→ホ短調…と、長調とその平行調を5度圏ずつ上昇しながら全調を一回りします。この構想のきっかけは、マヨルカ島に唯一携えていった楽譜が、第一巻、第二巻ともに24曲のプレリュードとフーガより構成される「平均律クラヴィーア曲集」だったと言われています。ここでも、バッハ作品からショパンが多くのインスピレーションを受けたことが分かります。

プレリュード 第1番 ハ長調 Op.28-1 (Poetry Demo #06)
「バッハ頌」のように感じられる第1番は「平均律クラヴィーア曲集」第一巻の第1番のハ長調のプレリュードを彷彿とさせ、バッハに対するショパンの敬意が伝わってくるようです。ポリフォニーが織りなす美しい響きが魅力的です。

プレリュード 第4番 ホ短調 Op.28-4 (Poetry Demo #07)
左手は、悲しみや涙を思い起こさせる半音階的下行進行を和音で刻みながら描き出しています。右手の旋律は、心の奥の悲痛な思いが滲み出てくるようです。この曲は、ショパンの葬儀の際、パリのマドレーヌ寺院でオルガンによって演奏されました。

プレリュード 第6番 ロ短調 Op.28-6 (Poetry Demo #08)
哀しみを湛えた左手の旋律の響きは、ショパンが愛したチェロを彷彿とさせます。右手の8分音符のオスティナートと、1拍毎に刻む4分音符から、一歩一歩厳かに歩を進める葬送の行進が思い起こされます。第4番と同様、ショパンの葬儀の際にオルガンで演奏されました。

プレリュード 第7番 イ長調 Op.28-7 (Poetry Demo #09)
アンダンティーノ(アンダンテよりもやや速く)

コラールを感じさせる気高い響きと、マズールの舞曲の要素を同時に持ち合わせた音楽です。わずか16小節かつシンプルでありながら、旋律の美しさはさることながら、和声の妙が際立っています。

プレリュード 第15番 変ニ長調 Op.28-15 (Poetry Demo #10)
「雨だれ」と呼ばれ親しまれている曲です。その理由は、サンドの『我が生涯の物語』の中に出てくる、「ショパンは、屋根に落ちる雨だれの音の中で、涙を流しながら素晴らしいプレリュードを弾いていた…」の有名なエピソードによるものといわれています。療養に訪れたマヨルカ島は、期待していた環境ではなく雨の日を過ごしていたといいます。右手の作品を通して貫かれる8分音符の連打音は、まさに雨音を思い起こさせます。中間部では、変イ音からエンハーモニック(異名同音)で嬰ト音への変化とともに転調し、音楽が拡大し、やがて感情が爆発します。のちに穏やかな音楽に再帰し消えるように終わりを迎えますが、まるで現実と非現実を行き来するような、ショパンの混沌とした精神状態を表しているようです。

プレリュード 第16番 変ロ長調 Op.28-16 (Poetry Demo #32)
空間を引き裂くような激しい和音の連打の導入部から、左手の力強い刻みとともに、右手の急速なパッセージが嵐のごとくエネルギーを増大させながら駆け抜けます。何かに駆り立てられるような鬼気迫る音楽から、ショパンの心に潜在するマグマのようなエネルギーを再認識することになる曲です。  

プレリュード 第24番 ニ短調 Op.28-24 (Poetry Demo #33)
アレグロ・アパッショナート(快速に、そして情熱的に)

プレリュード全24曲の最後に置かれたこの曲を聴き終えたとき、人々は壮絶なドラマと絶望的な結末にしばし呆然とさせられます。右手の旋律に激しく悲痛な叫びを聴き、壮絶なドラマは、ついにニ短調の主音のニ音の最低音を衝撃的なfffで、しかも単音で三回響かせて幕を閉じます。さながら、底知れぬ奈落へ突き落されるような錯覚を覚えるほどです。

ピアノソナタ

ショパンは、生涯で3曲のピアノ・ソナタを書きました。幼少期から古典作品から作曲技法を身に着けたショパンでしたが、厳格なソナタ形式という構成上の束縛は彼にとっては些か窮屈だったのかもしれません。第1番に比べ、自由な構成で書かれた第2番、第3番は独創性に富み、紛れもなくショパンの作品のなかでも傑出した作品となっています。

ピアノソナタ 第2番 第3楽章「葬送」Op.35 (Poetry Demo #44)
重々しい付点のリズムは、静かで厳かな葬列の歩みを感じさせます。まるで優しい光に包まれながら、穏やかに歌われる旋律が歌われる中間部は、天上へ果てしなく立ち上っていくような崇高さに満ちています。その楽想の対比が哀しみを際立たせています。

ピアノソナタ 第3番

この頃のショパンは、結核の悪化により健康に優れなかったことに加え、1844年春には、父ミコワイが亡くなったこともあり、辛い日々を過ごしていました。そんななか、姉ルドヴィカとの14年ぶりの再会を果たすことになります。それはショパンの様子を心配していたサンドの計らいによるものでした。生きる力を取り戻したショパンは、自身の作品の中でも最もスケールが大きく、古典的かつ重厚な大曲を書き上げたのでした。

ピアノソナタ 第3番 第1楽章Op.58-1 (Poetry Demo #45)
鮮烈に何かを宣言するような下降音型の第1主題で幕を開けます。

ピアノソナタ 第3番 第2楽章Op.58-2 (Poetry Demo #46)
どこか安定する場所を探すかのように目まぐるしく縦横無尽に駆け回るスケルツォ主題と、穏やかで充実したポリフォニー(多声音楽)のトリオの好対照が魅力的です。

ピアノソナタ 第3番 第3楽章 Op.58-3 (Poetry Demo #47)
第2楽章最後の変ホ音がエンハーモニック(異名同音の嬰二音)で受け継がれ、緊張感をともなった嬰ト短調の荘重な序奏が鳴り響いた後、柔らかな光が立ち上るようにロ長調に転調してから穏やかで美しいカンタービレの主題旋律が奏でられます。ホ長調の中間部は、ハープのようなアルペジオとともにポリフォニーが現れます。夢見るような美しさの中、ほのかに哀愁を漂わせています。

ピアノソナタ 第3番 第4楽章 Op.58-4 (Poetry Demo #48)
半音階的上行による、緊張感を持った重厚な序奏に続き、熱にうかされたような激しいロンド主題が現れます。華麗な右手のパッセージが印象的な第2楽想をはさみながら、曲が進むにつれてロンド主題は段々と拡大し、音量を増しながらより華やかになっていきます。そしてロ長調のコーダへ突入したのち、輝かしい勝利の鐘を高らかに響かせながら壮大な物語を終えます。

ラルゴ

ラルゴ 変ホ長調「神よ、ポーランドをお守りください」KK.Ⅳb-5 (Poetry Demo #50)
ショパンの死後1938年にパリで発見され出版された遺作のひとつで、聖歌「神よ、ポーランドをお守りください」の旋律にショパンが和声をつけたコラール風の作品です。

スケルツォ

スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31 (Poetry Demo #24)
全4曲のスケルツォの中で、もっとも広く知られ親しまれています。冒頭では、極めて対照的な二つの動機が囁くような3連符の動機と、突然爆発するようなffの和音による第1主題が提示されます。

ショパンの弟子レンツによると、ショパンはレッスン中、この冒頭について「これは問いかけでなくてはならない。・・・また、死者の館のような雰囲気でなければならない。」と語ったそうです。しかし一転、変ニ長調の明るく爽快な楽想が繰り広げられる様は、まさにスケルツォ(諧謔的に、おどけて)を表現していると言えるでしょう。

変ト長調の軽やかな左手のアルペジオに乗せて優美に第2主題が歌われたのち、中間部は、実に多彩な音楽が展開されます。イ長調の瞑想的なコラールの響きとレチタティーヴォ(話すような独唱)、嬰ハ短調のアリアを思わせる旋律、ホ長調の軽やかなコロラトゥーラ風のパッセージへと移ろい、後半では様々な動機が次々と激流となって現れる様はオペラさながらで、その展開に心奪われます。その後、主部の再帰、疾走するコーダを経て、物語はついに、変ニ長調の輝かしい和音が高らかに鳴り響き終わりを迎えます。

参考文献:
・聴くために 弾くために【ショパン全曲解説】下田幸二著(株)ショパン 1997.
・ピアノ音楽事典「作品篇」音楽現代編 編集:芸術現代社、発行:株式会社 全音楽譜出版社 1982.
・弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学 エーゲルディンゲル・ジャン・ジャック、米谷治郎、中島弘二 訳 音楽之友社 2005.
・ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ サムスン・ジム、大久保賢 訳 春秋社 2012.
・ショパン 小坂裕子 音楽之友社 2004.

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